無限に続く夜の旅へ~Chouchou「theme02 Night and Wanderer」(2017)
はじめに
自分はいろいろな音楽を聴くんだよ~とか言いながら、1番多くなったのがまさか水樹奈々関連だと思わかなった。
しかもヴィジュアル系とかばっかりだし、ここらで新しい人達を書くか~と思い、筆を執った次第です。
自分の好きな音楽はファン層が重ならない人ばかりで、ソレはソレはアプローチの難しさを感じるのですが、少しでもファンが増やせたらいいなと思うのと、同好の士がほしいなって…オタクは寂しがり屋だから…。
今回は、今までと全く違う音楽です。それではどうぞ!
Chouchou「theme02 Night and Wanderer」(2017)
(映し出される夜から薄明にかけての映像が美しいトレーラー)
- l'heure bleue
- Arkadia
- 1619kHz
- träumerei
- aldebaran
- Colors
- DISPATCHER
- everlasting
- ray
- Uroboros
日本のエレクトロニカユニット、Chouchou(シュシュ)が2017年に出したコンセプトアルバムなのだが…音楽の紹介に入る前にまずこのグループの紹介をしようと思う。
Chouchouってどんなグループなの?
このグループは2人のメンバーで構成されているのだが、経歴が少し変わっている。
- juliet Heberle(ジュリエット・へベール): 作詞、歌唱
日本生まれ東京育ちの女性。
10代の時に渡米して美術学士であるBFAを取得するとファッション業界に身を置く傍らアラベスクに才能を見出され、Chouchouとして活動を開始する。
楽曲のアートワークやサイトのイメージ、仮想空間内でのプレゼンテーションなどユニットのビジュアル面のディレクションも担当している。
このユニットのコンポーザーであり、チェコ人の父と日本人の母を持つ。
プロのクラシックピアニストとしての一面も持っており、別名義Michal Horák(ミハル ホラーク)として活動していた。高校時代から作曲を始めており、新しい表現のスタイルとしてChouchouを結成する。
作曲、アレンジ、ミキシング、マスタリングなど音楽面全般を担当する他、PVなどの映像制作も担当している。
とまあ、その経歴も変わっていれば結成のいきさつも変わっている。
結成年は2007年。キッカケはジュリエットが元々セカンドライフ(ネット上に存在する仮想世界。今のVRチャットの先駆けみたいなもの)内でやっていたラジオでアラベスクが「自分で歌ってみたら?」と提案したことにあるらしい。
仮想世界で結成されたグループというのは2007年の時点では世界に殆どなかっただろうから、本当に不思議な経緯である。
ちなみにこのChouchou(シュシュ)という名前は2人が好きな作曲家ドビュッシーの娘、エマの愛称にちなんでいる。
そんな彼らが奏でるエレクトロニカは、アンビエントで実験なポップさを持っている幻想的な作品が非常に多く、今作のテーマは「夜の旅」である。
以上のお話がわかったところで1曲ずつ見ていこうと思う。
1.l'heure bleue
およそ2分のインストゥルメンタルナンバー。
バックで空間的なエフェクトのかかった打ち込みが流れる中、ピアノの美しい旋律がとても印象的であり、それだけで一気にこのアルバムの世界に引き込まれる。
Chouchouが他のエレクトロニカアーティストと違うのは、クラシックに対する非常に熟達した技能やその素養があることである。ボーカルのウィスパーボイス、どこかEGOISTに重なるのだが、それも相まって非常に幻想的かつメロディアスな仕上がりになっている。
このメロディアスさと楽曲の構築能力、ボーカルの独特の声質はこのグループの大きな武器であり、僕が彼らを好きな大きな理由である。
この1曲でコンセプトである「夜の旅」に通じるような仄暗さと、幻想的な雰囲気に引き込まれることだろう。
2.Arkadia
前曲の流れを組んだスロウテンポのナンバー。
”そしてまた扉を開けた 最果てへ帰った
「おかえりなさい」と囁く 声が聞こえた”
そう、囁くボーカルから始まるこのアンビエント・ポップのタイトルはArkadia(アルカディア)。
ギリシャのペロポネソス半島中央部にある地域名で、理想郷の代名詞である。
理想郷というと、一般的にイメージするのは「天国」「楽園」であり、それらの単語を聞いた時に何をイメージするだろうか?一般的には白、もしくは緑を基調とした光に溢れた世界なのではないだろうか?
そんな中で、この曲は違う。”朝の幻”という単語は存在するがその世界は基本的に夜である。
”明くる日朝に祈れ ただ目を閉じ
赤毛の鳥はいないと
忘れたはずの祈り ただ唱えて
枯れた古巣の匂いを 香っていたいの”
つまり、これは理想郷というものを夜というある意味闇の象徴から見た目線なのだ。
理想郷というテーマでこういう表現の仕方は非常に珍しいと思う。
”赤色の葡萄の滴りを 種へ零した
霧が晴れる朝の幻を 描いて”
この歌詞からもわかるように、あくまでも朝の幻であり、幻なのだ。
ここまで儚い理想郷への憧憬を描いた歌をウィスパー気味の声で歌われるのが非常に新鮮である。
ピアノの旋律と藤井麻輝を彷彿とする打ち込みの入れ方と空間的なエフェクトの愛称は抜群であり、この2人が出会うべくして出会ったのだなと改めて感じさせてくれる。
綺麗なメロディだが、フレーズに緩急があるとかそういう方向性ではないあたり、何処かミニマルミュージック的な匂いもする。
全編を通して儚く美しいという言葉が似合うナンバーであることは間違いないだろう。
3.1619kHz
近年の日本エレクトロニカ史上最強のナンバーの1つ!神、優勝、マスターピース!
いや、割とほんとに思う。
この曲はラジオの高速道路情報を思わせるポエトリーリーディング、そしてドラマチックなバックトラックで構成されており、アルバムでも異色のナンバーである。
世代や普段ラジオを聴かない人にはこの例えがピンとこないかもしれないので参考動画を掲載しておく。
(僕は日本道路交通情報センターの高速道路情報ラジオが凄い好きです)
この曲の始まりの歌詞はこんな感じである。
”午後6時15分現在の 高速道路情報をお伝えします
首都高一号羽田線 下りの情報をおしらせします
芝浦ジャンクション付近を頭に
平和島ランプ付近まで 5kmほど渋滞しています”
やや、舌っ足らずな高めの声でごく普通に高速道路の情報を読み上げていくのだが、少しずつ世界の崩壊が見られ…
”梟が肉を拾っている”
だの”
男の子が泣いている”
と少しずつ不穏な単語が増えていき…
”250422km先のポスト付近で
夜が終わりかけている
との一報が入りました”
という何やら幻想的かつ異世界に迷い込んでしまったかのような歌詞へと変貌していく。
「高速道路情報」という普通の始まり方で淡々と読み上げる中、で徐々に世界が崩壊していくさまはドキリとさせられ、寒気すら覚える。
また、そこに至るまでの文章構成や間のとり方が非常に巧みであるため、気がついたらその世界に入り込んでいるのがこの曲の素晴らしいところである。途中で少しだけ挿入される歌も素晴らしいアクセントになっている。
サウンド面に関してだが、基本的にはアンビエント・テクノ的でありながらも、
所々に入ってくるシンセサイザー的な電子音があるため、このトラックと単調とは無縁のものに仕上げている。
このようなポエトリーリーディングとバックトラックの組み合わせも絶妙ながら、
この曲はタイポグラフィにこだわったPVも非常に完成度が高く、深夜の高速道路の映像も相まって、この曲をもり立てている。
4.träumerei
チル・アウト的な色彩の強いナンバー。
前曲の怪奇幻想的な気分をどことなく冷ましていくかのような、澄んだ儚いサウンドが特徴である。
トロイメライ、という単語自体は特に珍しくはない単語である。
シューマンのトロイメライもあるし、YUKIのトロイメライもある。前者は放課後の学校で聴いたことのある方も多いだろう。
そもそも、トロイメライという単語はドイツ語の「Traum(トラウム)」から派生した言葉であり、夢見ることや白昼夢という意味がある。
それを踏まえて歌詞をまず見ていこう。
”名前も無い 夢の欠片
近づいては 離れゆく 二連星のようね”
二連星、というか連星というのはお互いの引力で引き合いながら軌道を描いている天体のことを指している。
その字義と歌詞の内容は関係があるのか、という話だが関係がないわけではない。
”名前も無い 夢の欠片
近づいては 離れゆく 二連星のようね
夜目覚めて あなただったと気づいたの
微睡みの中で見つけたの”
ここで、連星と比喩として使っている他、
”永遠の 現の 刹那の片隅に
どうか連れ去って 私を
仕草で 声で 貴方だと分かるわ
どうか連れ去って”
この部分では、惹かれるというのを引力と同じようなニュアンスで強調しているように思える。
夢の中でしか会えないような離れ離れな2人の意味合いなのか、それとも関係の終わりか、夜の孤独さとどれを表している歌詞なのかは明言されていない。
おそらく、そういうことを直接描写しないのがこの曲の良さだろうし、Chouchouというグループのもつ幻想的、抽象絵画的な世界を端的に表現していると思う。
チル・アウト的なサウンドやビート感に対して、ストリングスを効果的に用いることで楽曲にドラマ性をもたせているほか、ギターのアルペジオの響きが非常に美しい。
全編におよび空間的処理が施されているのも相まって、とてつもなく幻想的でどこか寂しげな音色に仕上がっている。
このアルバムの序盤の中でも、とりわけ人々を夢の中に誘ってくれるナンバーであることは間違いないだろう。
5.aldebaran
前アルバム「ALEXANDRITE」の流れを汲む、ポップでキャッチーなナンバー。
Chouchou - CD Album "ALEXANDRITE" Trailer
とは言っても、Chouchouの持つ「幻想的かつ静謐な雰囲気」と「夜の旅」を加味しているため、コンセプトアルバムにもよく馴染んでいる。
アルデバランとはおうし座アルファ星を別名とするおうし座の中でもっとも明るい星の1つである。
名前の意味は「後に続くもの」であり、これはプレアデス星団が東の地平線から登ってくる時に、それに続き空に登っていくように見えたことが由来らしい。
赤色巨星、という星としてはまあまあ老境の域にある天体でもあり、その大きさはなんと太陽の約44倍。スケールが大きすぎて何も想像ができない。
端的に言えば死にゆく星である。
そのことが、この曲と関係していると思わせるのがその歌詞である。終わりを感じさせるものが非常に多いのだ。
たとえば、
”交わした 言葉はそっと
風に消えていくのだと知った”
や
”巨星は疾うに沈んだ
消えた事さえも気づかずに”
この部分だろう。消えていくことや、終わりを明らかに意識している歌詞は珍しくないが、天体とともにスケールの大きさと拡がりと深みを感じさせるのはその声質に依存するところもあるだろう。
そもそも天体のアルデバランは地球からとても遠い星なのだ。距離でいうと65.23光年。簡単に言うと地球からアルデバランに行くには光の速度で約63年間かかるということである。
そのため、地球からアルデバランを観測することは可能なのだが、僕らが観測できるその輝きは既に63年前に放たれたものであるということになる。
個人的には現在に生きていながら、過去の光を見ることが出来るという少しロマンチックなところを感じさせる。
話を戻そう。この曲のサビと言える部分では、
”アルデバラン とっくの疾うに放たれた
光を見せるんだ 不思議な公平さで この無慈悲な今を隠すんだ”
と書いており、過去に放たれた光ということも哀しみの象徴として使用しているように思えるし、それが更に別の深い喪失を覆い隠しているというようにも読み取れる。
全編通して哀しみの漂う不思議な風合いの歌詞である。
逆にサウンド面だが、Chouchouのナンバーにしては割と珍しく、疾走感とビートがはっきりと感じられる。
打ち込みに関しては最初は点でしかなかったものが、曲が進むごとに音が増えていき、徐々に壮大になっていくというドラマチックな構成になっている。
また、今作の全ての曲に共通してるのだが、深いリバーブのかかった空間的な音像は健在である。
「夜の旅」が1つの転換点を迎えたと思わせる、このアルバムでもかなりアップテンポなナンバーである。
そしてそれは、アルバムが後半に向けてさらなるステージに加速していくということを感じさせる。
個人的にはIDM(インテリジェント・ダンス・ミュージック)とアンビエントが好きな方にオススメしたいナンバーだ。
6.Colors
前曲とは対照的なダウナーでサウンドも含めメランコリックさの漂うナンバー。
まず、この曲の歌詞はサウンドに対して譜割りが独特である。
今までメロディに対して素直に歌ってきたこのアルバムの前半と比べるとどことなく異質である。
”what color will fade
and what will stay
僕らはいつでも気づかぬふりして”
この部分の歌詞などは完全にバックに比べると言葉を少し多めに詰め込んでいる。
そうすることで、言葉を発するリズムにおいて少しモタったり、またつんのめるということが産まれる。
こうして、生まれる言葉のリズムの波が一種のグルーヴとしてこの曲では働いていると考えられる。それは、ともすれば単調で同じような風合いの曲になりがちなエレクトロニカというジャンルにおいて曲の差別化を担っている。
タイトルに反して、曲の雰囲気や歌詞は終始、色が失われたような儚さを帯びており…
”パステルカラーが滲む少女の顔した 君は愁いに満たされたら
「もういらないの」 そう甘い声で囁いた”
このようにColorsという複数の色であることを拒否するような「愁い(うれい)」「もういらない」というネガティブな意味合いのある単語が登場する。
歌詞の内容を逆説的にくっきりと表現するためのタイトルとして「Colors」と名付けたのは僕はとてもいいことだと感じている。
サウンドはやはり、アルバムのコンセプトに合うような深いリバーブのかかった打ち込みなのだが、この曲では泡沫のほうな儚さがあり、オルゴールや鉄琴を思わせるような金属的かつ抱擁感のある音が特徴的である。
夜にコレほど合うナンバーも珍しい。
途中でストリングスが入ってくる箇所があるのだが、それが曲を引き締めているように思えるし、所々グリッチのように入ってくるノイズが非常に美しい。
クラシックのピアニストでもある方がこのような曲を作るというのは、世界ではともかく日本では中々居ないのではないかと思う。しかもそれが打ち込み主体の電子音楽となると尚更少ないだろう。
普通のエレクトロニカ系アーティストにはないような音へのバランス感覚を持った特異性があることも納得の1曲だ。
7.DISPATCHER
ダークさと空間的な拡がり、そして実験的ビートが特徴的なミディアム・テンポな1曲。
英語詞によるポエトリーリーディング的なものは入っているが、ほぼほぼインストゥルメンタルである。
今までがポップさもあるアンビエント的な楽曲と大きくくくることが出来るなら、この曲はそれとは全く違う性質のエクスペリメンタルなIDMナンバーと言えるだろう。
先程も少し触れたが、IDM(インテリジェント・ダンス・ミュージック)とは電子音楽のいちジャンルのことだ。
90年代初頭に登場したジャンルの音楽であり、ダンスという名前がついているものの、フロアで踊るよりは家でじっくり聴くための電子音楽である。
なぜ、フロアで踊るということに向かないのか?それはメロディに依存しない音楽であるため、メロディに縛られないという特性上、自由なビートの構成が許される。
そして、そういう音楽はしばしばビートの複雑性を持っているからである。
その中にクラシックを取り入れるアーティストも居たりするので更に複雑である。
このジャンル自体がデトロイト・テクノやアシッド・ハウス、ブレイク・ビーツなど様々な音楽の影響を受けて出来上がった音楽である。どういう面が表出するかによってかなり雰囲気が変わったりする。
また、ジャンルという様式であるよりは個人の実験的な色合いもかなり強いジャンルである。
IDMという呼称自体がエリート主義的で他のジャンルを見下しているという批判もあり、このジャンル名を拒絶するアーティストも少なくはない。
以下このジャンルに一応数えられる有名な…ではなく僕の好きなアーティストの例である。
なにせ、電子音楽はジャンルの境目がかなり曖昧でサブジャンルも多いので、分類が難しいのだ…。
(適当に本読むとか生活の間に流し聴きしてみてください)
これらの音楽のような要素を、Chouchouでも感じられるわけだが、ビートがそこまで詰め込まれていないことや、打ち込みである程度のメロディが感じられること、
人間の声が入ってることなど…IDMのジャンルとしてはまあまあ聴きやすい部類に入る。
また、打ち込みの音色が美しいため、ビートの複雑さやダイヤルアップ接続を思わせる効果音の突飛さを無視して音に浸ることが出来る。
やはりこういうものは単純に電子音楽をやっているだけでは得られないクラシック出身者ならではの、音やメロディに対するバランス感覚なのかもしれない。
最初は少し戸惑うかもしれないが難解でリスナーを付き放つような雰囲気は持ってないし、IDMの入門にぴったりな作品だろう。
ちなみに、DISPATCHERは英単語で発送係やバスやトラックの発進係という意味がある。また、航空会社に勤務し、その会社の全ての便のフライトプランを作成する職業を指すことも。日本では運行管理者などの国家資格の取得を要する仕事である。
8.everlasting
everlastingというのは複数の意味がある単語である。その意味は「永遠」「不朽」「永久」を意味し、場合によっては「退屈するほどに長い」というのも選択される。
おそらく意味合いとしては前者なのだろうが、ここで歌詞を見てみよう。
”二度と 帰れない 帰りたい あなたへ
終わりなど知らぬように 話していたいの”
”陽の色も闇も 朧げに移ろい
さよならは時を 常しえに氷らせた”
これらから見る限り、意味合いとしてはおそらく前者だろう。
普通、「永遠」という単語はそこまで悪い意味で使われない。
「何を言ってるんだ?永遠の命とか永遠の苦痛とか…」って言ってる人もいるはずだ。1つ言っておこう。
ソレを感じた人はぶっちゃけオタクだからである。僕もそう。
むしろ一般的に永遠という単語でイメージされるのは、「永遠の近い」とか「永遠の愛」とか、幸せな感情が時と共に風化しないことを願うようなポジティブさを伴うものばかりなのだ。
では今回はどうなのかというと、永遠をポジティブな意味では一切使っていない。
この曲で印象的なフレーズがある。
”二度と 帰れない 帰りたい あなたへ”
この部分である。
コンセプトが夜の旅であることは既に何回も言っているが、様々な角度から夜にリスナーを誘う中でも、この曲はとりわけ孤独感が強い。
夜、というのは時折人を強烈な孤独に誘う。それはバイオリズムで単純に脳が疲れているのもあるだろうが、夜が静かであることも大いに関係していると思う。
主観だが、人が孤独を感じやすいのは、喧騒にいるときよりも、喧騒から静寂に放り込まれたときだと考えている。
周囲の賑やかさから一転して自分しか居ないということを意識せざるを得ない環境に放り込まれる時に、否が応でも誰かと居た時のことを思い出して寂しくなってしまうのだろう。
そして、人々が寝静まり否が応でも喧騒から静寂を体験しないといけなくなるのが夜なのだ。
そんな孤独感をeverlastingという永遠を表す単語で表現し、更には前述した歌詞で表す、というのは中々に一般的な価値観とは言い難い。
それでもなお、二度と帰れないという永遠は本当の意味での孤独である。それにはこの曲のタイトルをが必要であるという必然性を強く感じさせる歌詞であった。
その歌詞に呼応するように余り強い主張をする音は使わず、空間的なエフェクトを活かしたサウンドが目立つ。
所々ドローンのようなものが流れる中、ピアノやヴァイオリンがところどころに聴こえる旋律は儚く、美しい。そして、何処か脆い。
それはまるで薄氷を踏むような心もとなさも感じさせるし、触れたら消えてしまう泡のようなものも感じさせる。
そこにジュリエットの伸びやかな声が乗るというのはもはや反則技に近いものがあり、それによってChouchouというアーティストの個性と武器を最大限に発揮している。
ときおり、打ち込みのフレーズのニュアンスを変化させることで、静かなバラードながら曲にメリハリを付けて退屈させないのも非常に良く出来ている。
永遠の孤独を感じさせる、文字通り「夜の旅」に相応しいナンバーだ。
9.ray
名前の通り光線の如き疾走感とスペーシーな拡がりを感じさせるアップテンポな曲。
このアルバムにアップテンポなナンバーが多くないのは、「夜」という単語がイメージさせる時間の流れがゆったりしているもあるのだろう。
しかし、夜空というのは宇宙の大きさを感じさせるような深い青の色彩を帯びている。
それは生活音が止み、空に対して1人で対峙しなければならなくなるという事実もあろうだろう。
何よりも思うのは、星が瞬くということはその光線を宇宙から受け取っていること。そして、これは夜にしかはっきりと観測することが出来ないということ。
だからこそ、「夜の旅」というテーマに”ray”というタイトルなのだろうと僕は思っている。
話がそれてしまったが、ここで歌詞を見てみよう。
疾走感のあるスペーシーなサウンドにリンクするように、歌詞にもその傾向が見受けられる。
”君が夢見た蜃気楼へ
僕ももう向かうよ
絶望の淵を照らした
君は眩い一縷の閃光”
夜の旅、というテーマで閃光という単語がでてくることにまずここで驚かされるのだが、宇宙というところまで解釈を拡大すると、それは恒星の発するまたたきであり不思議はないのかもしれない。
光線がどこまでも伸びていくさまもやはり、周囲が暗い場所、もしくは夜にしか見ることが出来ない。やはり夜の旅、なのだ。
しかし、この歌詞をすべて見ても夜明けを感じることはない。むしろ闇を疾走する光のままなのだ。また、光は人に例えられそれに恋い焦がれる話である。
夜の旅が明けてしまえば夜の旅ではなくなる、ということは当たり前なのだが、
光に向かうとか夜明けに結び付けがちなテーマだと考えるとやはりこのアーティストはひと味もふた味も違うことを再確認させてくれた。
サウンドはシンセサイザーの音色が特徴的であり、夜のような深く暗い音像を残しつつ光も感じさせる音色に仕上がっている。
また、ドラムのフレーズがそこに疾走感を更に上乗せする。このアルバムでここまでドラムの音が目立つのはおそらくこれだけだろう。
聴いてるとどことなくラスマス・フェイバーに通じるポップさを感じさせる。
サウンドの明るさはまるで夜明けを感じさせるような明るさがあるのに、歌詞の中で夜明けという明確な描写がないというのは非常に面白い。
行間に滲ませてるのか本当に夜が明けないのか、どちらにしろどことなく日本語ならではの含みをもたせた歌詞表現の妙なのかもしれない。
こういう感じで、いい意味で歌詞とサウンドの間にギャップをもたせているのではないかと僕は思う。そして、そういうギャップというのは音楽を聴く時の面白さに関係すると思っている。
アルバムはこの曲からラストに向かうわけだが、その刹那の煌めきのようなナンバーで、もう何回か聴き直す必要がありそうだ。
10.Uroboros
夜の旅を告げるナンバーは夜明けなのにおやすみで終わるチル・アウト的なナンバー。
まず、歌詞を見ていこう。
”綺麗な夜明けね
おやすみ おやすみ”
このような文字の組み合わせは今までで初めて見た歌詞である。
陳腐で安直な話になってしまうのだが、普通は夜明けにはおはようだし、夜にはおやすみである。
ましてや、普通に想像するなら…
夜の旅の終わり=夜明け
である。
しかし、このグループはそうしなかった。
”凍てつき 朝日を浴びて
黒い羽 散らして 羽ばたいた あなたに
ただ会いに行きたいだけなのに”
や
”ただ傍で 幸せだと
ねぇあなたに 言いたいだけ
夜は終わり 夢は消える”
そして…
”眩い夜明けね
おやすみ おやすみ”
という具合に相反する言葉と、どことなく寂しげな歌詞が目立つ。
夜明けというのは普通はなにかいいことが起こる前触れとして象徴である。
だったら別にここまで寂しげな歌詞にする必要はなかったのではないか?と考える人もいるだろうが、ここで曲のタイトルを思い出してほしい。
「Uroboros」というのは一匹もしくは二匹で啄みあい輪を形成した蛇、もしくは龍の図案化である。
そして、その意味は「死と再生」「不老不死」であり、他にも循環性、永続性、始原性(宇宙の根源)など、様々な意味を持つが基本的には終わりがない物の象徴である。
ここで、Chouchouの曲に戻ろう。
彼らは夜明けにおやすみと言っている。
おやすみということはどうなるか?
また夜の旅が始まるということだ。
そして、それはこのアルバムの1曲目に繋がることになり、またここに戻ってくる。
ここにきたらまた1曲目に戻る…。
つまり、夜の旅の永遠性、循環性を端的に表した曲であり、醒めない夢というのをタイトルと相反する言葉の組み合わせで表したナンバーだと考えている。
そうでなければおやすみと夜明けをわざわざ組み合わせる理由がない。
アルバムの最後で夢は消えると言っているが、ウロボロスの原義に戻れば循環でありまた夢が始まるわけである。
そう考えて聴いていると次第に夢と現実の境目がごちゃごちゃになってくる。
夜というのは疲れているのもあるが、時折まどろみで現実と眠りがごちゃごちゃになってしまうことがある。
そのときには夢と現実はどこまでも連続した形になり、そこに終わりも始まりも無くなっていく…
そんなことをこの歌詞を聴いていて思い出したと共に、この曲の特殊な構造に敬服するばかりである。
サウンド面では少ない音数でありながら、空間的な響きをうまく活かせるようなエフェクトが使われており、スカスカで散漫な印象はない。
時折挟まれるピアノの音が美しいし、どこまでも拡がっていく幻想的な音は本当に夢の中のよう。
しかし、夜明けの雰囲気がしない夜の旅の終わりのトラック、というのも不思議なものだ。何回も言っているがChouchouの発想は何から何まで普通と違うのだなあとつくづく感じさせる。
アルバムを何回も聴きたくなる仕掛けが詰まった曲であった。
まとめ
今作のコンセプトは「夜の旅」。そこに見合った非常に洗練されたトラックが数多く並んでおり、極限までに練り上げられている。
やはりこういった作風こそChouchouの魅力であり最大の武器であると改めて実感させられた。
夜の静けさに注目してコンセプトと様々な曲をまとめ上げていったその手腕は非常に素晴らしいし、それでいてコンセプトに縛られすぎない自由さを見せたのもとても良い。
改めてもっと多くの人に聴いてもらいたいアルバムであり、エレクトロニカというジャンルの素晴らしさがひとりでも多くの人に伝わればいいなと感じた。
最後に
今回は、今まで書いてきたアーティストとは全く毛並みの違う方を書きました。
特に、ここ最近は水樹奈々さんのことばかり書いてきたので、エレクトロニカに改めて触れてその神秘性と構築性の高い音楽の魅力を再確認しました。
普段から静かな音楽を好む人も、そうでない人も、アニメソングが好きな人も、とにかくひとりでも多くこのグループを知ってくれると嬉しいです。
ここまで読んでいただきありがとうございました!