ミルクレープを崇めよ…

自分が個人的な思いの丈を延々と書き連ねていくサイトです。

読書のおはなし

 読書の目的は人それぞれだろう。

自己の充実、勉強、必要に迫られて…その目的はさまざまだ。

 じゃあ僕はどうなのかというと…特に目的はない。強いて言えば自身の知的欲求を満たすための娯楽である。

 

 僕の母は昔から読書が好きだった、それが僕にも影響して本を読むようになったというだけである。

 だからこそ、僕の中では読書に特に崇高な目的は持っていない。はっきり言って、娯楽という同一線上に並べるとしたらギャンブルと対して変わらない認識である。

 

 しかし、人によっては読書は勉強だし、自己の充実に関係するから読むとか、必要に迫られて読まなければならなくなったりするひともいる。

 

 仕方がないことなのだけど、少し悲しくなってしまう。楽しさが見いだせる人はいいのだが、特に学校に押し付けられて読むような形だと嫌いになってしまうんじゃないかなあ…。読書が好きな人としては悲しいなあと思ってしまう。どうすることも出来ないが。

 

 僕も読書感想文は嫌いだった。今でこそある程度興味を見出して、それなりに自分の頭の中のプロットに従い、感想らしいものを書けるだろう。

 だが、ソレは色々な本を読んだり、学校の授業でそれなりに問題を問いたりしたからなんとなく身についたものであり、昔は興味のないのものはヤダ!という子供だったし、何よりも自分の中にノウハウもないので読み終わっても書くまでに数日を有した。

 

 確かに、文章を書くことの出力がもたらす効果は否定しないが、何のプロットもない状態で子供に書けとか、それが大人の望むものでなかったら書き直すとか、何よりも興味のないものを子供にさせるのは酷だろう。

 

 話は変わるが、読書に対してステータスを持っていて、本を読まない人間を見下す人がいる。僕も幾度となく目にしてきた。

 まったくもって面白くない話である。

 

 僕が思う読書のいい面、それは「自分に無いものを得られる」というのが一番重要だと思うのだ。読み方は問わない。

 自分にない価値観や、自分が今まで知らなかったこと、知り得なかった感情を読書を通して得られることが読書の良いところだと考えている。

 

 しかし、僕はそれを読書には限定しない。

人によってはソレは人付き合いで得られたり、スポーツで得られたり、アニメ、ゲーム、恋愛…まあたくさんある(僕の中では漫画も読書です)。

 

 それで得られて済むのなら僕は読書なんてしなくても良いのではないかなと感じるのだ。別に読書をしなくても死ぬわけではない。

 

 だが、読書をステータスにして他人を見下す人間、ソレは別である。

世の中の知らないことを知った結果が他人を見下すことなのか?

 そもそも本を読むのがそんなに偉いか?娯楽だぞ?恥ずかしくないのか?

 

 僕はそんな人間にならないために本を読むのだが…

 

そんなことを読書という事柄を通して思うのだ。