水樹奈々を聴く以前の自分について
はじめに
僕は水樹奈々のリスナーである、と同時に90年代ヴィジュアル系とその周辺の音楽ののオタクでもある。
つまり、元々が結構な根暗でどうしようもないオタクで小学生時代はいじめの記憶しかない…
自分の心象風景に水樹奈々的な希望に満ちた世界はそもそもなかったのだ。
そんな自分だが、水樹奈々のファンになって今年で10年目になった。
どこでこうなった?今もそう思う。
思春期と出会い
坂本真綾の話と中島みゆきの話は省いてヴィジュアル系から入るのだが、僕はヴィジュアル系というジャンルが好きである。
元々、人付き合いが余り得意ではなくすぐ気疲れしてしまうため、読書をするくらいしか趣味がなかった人間である。
水樹奈々を聴き始めるのは高校2年生に入ってからなので、その以前の話をしよう。
そんな僕が音楽に強く興味を持ったキッカケは中学1年生の時にMステで見たL'Arc~en~Cielの「Caress of Venus」だった。
”君が笑うと嬉しくて 明日が無くてもかまわない”(Caress of Venus)
このような刹那的な歌詞と世界観は、今まで生きてきた中にはなかったのでその衝撃たるや計り知れなかった。
その後に、僕は同バンドの「花葬」に強く心を惹かれることになる。
”瞳あけたまま 腐食してゆく身体
鮮やかに失われる この意識だけを残して
春を待てずに
愛しい貴方はただ そっと冷たくなって
腕の中で壊れながら ほら夢の淵で呼んでる”(花葬)
元々、未熟児で生まれたことやその後周囲の人たちの死に別れに数多く直面したこともあり、「自分に合う世界はこれだ」と直感した。
そして、中1の終わりに僕は動画サイトでとあるバンドと運命的な出会いを果たす。
全てが衝撃だった。
何処まで格好いい映像。歌声、楽器隊、そして雰囲気。
その全てに僕は虜になった。
そして、ソレと同時に彼らの音楽だけではなく、彼らの歌うことや、音楽性、ジャンル、楽器、文化、精神性…
あらゆる領域に興味を持ち始めた。
中でも、僕は彼らの周辺から聴く音楽を拡げていきつつ、彼らの孤独な歌詞にますます惹かれていった。そして、ソレと同時に完全に普通の人の価値観から乖離していってしまった。
”幾千の星に抱かれて ロマンを叫び続けて
さびついた時は流れて 痛みを叫び続けて
愛しいキミを離さない あぁ トキメキ を…”(END OF SORROW)
また、もう1つ僕の人生とも言えるバンド「BUCK-TICK」と出会うことになった。
この2つのバンドは自分にとって生き方を変えるレベルの衝撃を受けた。
そして、彼らの歌う孤独や孤高の歌詞、そしてその毒々しい雰囲気に僕という人間はもう戻れないところまで人生観が変わってしまった。
”燃える血を 忘れた訳じゃない
甘いぬくもりが 目にしみただけ
Lonely days
あふれる太陽
蒼い孤独を 手に入れた Blind-Blue-Boy”(悪の華)
このようなタイプの歌詞に急激に惹かれていった。「何よりもかっこいい!」そう思って生きてきたが大きな問題があった。
僕の周りではELLEGARDENやBUMP OF CHICKENやASIAN KUNG-FU GENERATIONが流行っていた。もうこの時代のヴィジュアル系なんて誰も聴いていなかったのだ。同好の士が欲しくて口を開けば馬鹿にされることさえあった。
そうして、僕は水樹奈々が掲げるような溢れんばかりのポップな光に完全に背を向け、ひたすらに理解されない苦しみと、周囲への憎しみを持ちながら、孤独に自分の道を邁進していくことになったのだった。
まず惹かれたのがX JAPANだった。彼らの持つ激しさと刹那、そして孤独は僕の心に救いと影の両面をもたらしたと思う。
特に、「DAHLIA」に強く心を動かされた思い出がある。
”TIME AFTER TIME YOU TRY TO FIND YOURSELF
流れる時代の中で
絶えない傷抱きしめ 切なさの風に舞う”(DAHLIA)
その音楽の激しさと対照的なあまりにも孤独感の漂う歌詞。それは、僕の内面をも代弁しているようで自然と涙が溢れてきた。
そして、僕の中の反骨精神が大きくなり始めた頃に、とあるバンドに出会うことになる。
黒夢だ。
”狂った洗脳 見破れそうさ
僕はニセモノ 不敵な fakestar
買収するのがホンモノなら
僕は偽りだらけの fakestar i'm a fake”(FAKE STAR)
これは本当に衝撃的だった。
中3の頃だったが、内面が完全に刺々しかった自分にこの瞬発力あふれるサウンドと、多数派に真っ向からケンカを売っていく姿勢に僕は完全に虜になった。
そして、更に深い闇を歌うバンド、DIR EN GREYを好きになった。
地の底から這い上がってコチラを殺さんとする狂気の歌唱、重苦しいサウンド、絶叫、痛み…
孤独感しかなかった自分の学生生活にとってDIR EN GREYの詩は1つの癒しだった。
自分にとっての孤独を歌うバンド、というとZi:Killも外せない。このバンドには何度も救われてきた。
ただ闇に耽溺するだけではなく全員を見返して這い上がるという意志も芽生え、やたら男臭いバンドを好むようになったのも彼らを聴いた時期だったと思う。
”行き場のない俺がいる のたうちまわってるだけ
短い時だったと 身を投げ出そうともした
傷つき堕ちていくことに 嫌気がさしていたけど
どしゃぶりの雨に打たれることが 今はとても素敵に見える”(少年の詩)
そんな観点でいうとCRAZEにも惹かれただろうか。
”晴れた日の朝も雨の降る夜も独りで 泣いた
寂しさ埋める術もなくただただ 独りで
夜の海は黒くて冷たくて独りきりじゃ 怖くて
肩を寄せあえる距離に誰か 恋しくて”(傷)
サウンドの激しさと相反するそのあまりにも孤独感の漂う歌詞は、僕の心をつかんで話さなかった。
自分の中の闇を歌ったバンドとして外せないバンドはかなり多い、というか水樹奈々を聴くまで邦楽なんてほぼ暗いのしか聴いてなかったである。
そんな1番精神的に荒れていた中学生時代を過ごしたのだった。
音楽にぶん殴られる時期
そんなこんなで、暗い自分に若干どころじゃなくまあまあ酔いしれてた自分だったが、高校1年から高校2年、つまり水樹奈々を聴くまでにになるに居鼻っ柱を完全に折って水樹奈々を聴く自分に繋げたバンドがいくつかいる。
筋肉少女帯、Plastic Tree、cali≠gari、そしてTHE YELLOW MONKEYだ。
筋肉少女帯だが、BUCK-TICK絡みで調べてて見つけたバンドである。
このバンドの歌詞はある意味で、暗いということで悦に入ってた自分の心を完全に抉った。
”踊ってる場合か! お前の思い言ってやろう" この世を燃やしたって 一番ダメな自分は残るぜ! (3 2 1 0!)”(踊るダメ人間)
最初に聴いた時にマジで泣きそうになってしまった。自分のアイデンティティなんて所詮紙くずみたいなものでしか無いのだ、ダメな自分と向き合うしか無いという残酷な現実を突きつけられてしまったのはかなりきつかった。
そして、Plastic Tree。
”ざわめく胸を羽ばたいた。
光を忘れながら。 暗闇。君に触れそうな夢見せてよ、梟。
泣いてる片目閉ざした。
記憶の舞台裏でこぼれた涙支払って未来を覗いたら、
恋しくて、愛しくて、切なくて、苦しくて、悲しくって、
見えなくてまばたきをした瞬間、いま刹那スローモーション―。
逢いたくて、逢えなくて、追いかけて触れてみたその花は、
ずぶ濡れて、幻。”(梟)
この歌詞を初めて聴いたときに涙したのを覚えている。明らかに、自分の中で何かが溶けた気がした。
坂本真綾に通づる平易な言葉による散文詩だが、曲の疾走感と相反する歌詞の空虚さに寂しさを感じ、共感してしまったのだろう。
cali≠gariにもかなり価値観を変えられた。
”いつも夢ばっか見てたさ。
「何になろうかな?」 明日を無駄遣いしてた。
だから夢なんてやめたさ。
息も吐かずに同じ孤独を生きよう。”(スクールゾーン)
今までは、心に闇があることを自己防衛のように考えていたがこの曲で完全に考えを改めた。
別に闇があってもいいのだと。辛くたっていい。ただ漠然と生きてもいいのだと。そう言われている気がした。
そして、おそらくこの中で最も水樹奈々に繋がるキッカケとなったのは実はTHE YELLOW MONKEYだ。
”世界はコナゴナになった
でも希望の水を僕はまいて
身体で身体を強く結びました
永遠の中に生命のスタッカート
土の中で待て命の球根よ
魂にさあ根を増やして 咲け……花”(球根)
この曲でかなり今の水樹奈々に共通するほとばしる生命力を注入されたりかなり力をもらった記憶がある。学校で寂しかったときや浪人して辛かったときもよく聴いてた。
まあ他にも邦楽洋楽ジャンルを問わず色々な音楽を聴いていた。
そんなのを書いてたら時間がいくらあっても足りないが、闇から光へのきっかけとなるというとこんなところだろうか。
そうして、アニソンスペシャル、そして水樹奈々へと繋がっていくのだった…。
実はここまで書いてなかったが、L'Arc~en~Cielを好きになって以来、並行してGLAYをずっと聴いていた。
しかし、僕はその前向きな歌詞に好きになりつつも、少し感情移入できずに居た。
そんなこんなで、一応なんとなく聴きながら3年が経った高校2年生の頃、GLAYのとある曲の真価を理解した。
”目覚めた朝に誓いをたてろ
自分らしくあるがままに
そう その為に何が出来るだろう?
感じた夜に胸を詰まらせ 憤るこの心の闇
確かに今灯がともる”(BEAUTIFUL DREAMER)
中学1年の頃の自分ではわからなかったのだが、この歌詞はただ夢を見ているだけではない。
彼らには挫折や苦しみがついてまわっているが、それでもなお諦めようとしない凄さ。GLAYの姿勢が忌避すべきものから人生の目標へと変わった瞬間だった。
今思うとGLAYと水樹奈々はかなり近い存在なのではないかと思っている。
孤独や反骨心、そしてその全てを薙ぎ払われたアイデンティティの崩壊と再構築で、僕はGLAYのバンドの本当の素晴らしさを知ることになった。
まあ、それが水樹奈々に繋がるわけだが…その話についてはこちらを参照してほしい。
そうして、まあNHKアニソンスペシャルを見たわけだが、衝撃も受けたと主に、あんなに前向きな歌詞をすっと受け入れられた自分にもかなり驚いた。
なにせ、4年ほどJPOP的な明るさからは完全に遠ざかっていたし、書いてないが音楽的な志向もかなりマニアックになっていたからだ。
それはこれらの経験が全て実を結んだ結果だと自分では思っているし、孤独と苦悩の狭間に悩んだことや、価値観を一回壊された上で再構築したことが大きな意味を持っている。
まあ、この後も色々な音楽的変遷をするのだがソレはまた別の話で…。
最後に
こうやって振り返ると自分でも不思議な変遷をしています。
もちろん語ればまだまだ長いし、他にも様々なバンドやアーティストが僕に大きく影響しています。
それにしても自分が水樹奈々を聴く異質さが浮かび上がってくる気がしますね。今度は水樹奈々と自分の好きなアーティストを比較して違いを考えたいです。
ここまで読んでいただきありがとうございました!